［望夢楼］／［いろいろなよみもの］／「主観過去」

　タイムマシンが開発された時の興奮は、そりゃ、大変なもんだった。
　まず真っ先に飛びついたのが歴史学者だ。彼らは政府に無理やり圧力をかけて、真っ先にタイムマシンを使う権利を手に入れた。で、自分の説を検証するために、次々と過去へと旅立っていったわけだ。ところが、すぐに連中、変なことに気づいた。
　タイムマシンに乗った学者が、いつも必ず自分の説に都合の良い証拠ばかりを持ち帰ってくるんだ。その逆は全くなかった。最初の頃は、連中、自分に都合の良いとこだけしか見て来なかったんだ、なんて言われていた。だけど、そのうち、もっと変なことが起きたんだ。
　互いに矛盾した説を唱える二人の学者が、同じ時代、同じ場所に時間旅行したのに、各々自説に都合よく、しかも互いに矛盾した証拠を持ち帰ってきたんだ。こうなってくると、タイムマシンというのは実は真っ赤なまがい物で、搭乗者に幻覚見せてんだけじゃないのか、なんて説も出てきた。ま、物理学者どもは一蹴したけどね。少なくとも、タイムマシンが本当に時間旅行をしていること、それは確かだったんだ。
　しかし、一体何が起こってんのかはっきりしたのは、タイムマシンが使われるようになってから三ヵ月くらいしてからだ。その頃、どこでどう許可をもらったのか、ある聖書根本主義者が時間旅行をしてきた。そして、そいつは、ノアの洪水を実地で見てきた、と言って、その証拠を示したんだ。
　つまり、このタイムマシンは、乗った者を本人にとって都合の良い過去へと送り込んでいたんだ。そして、タイムマシンが時間旅行をしていることも確かだった。これが意味することはただ一つ。客観的な過去なんて、存在しなかったんだ。
　このことが判った瞬間、過去を扱う学問──つまり、歴史学とか考古学とか、古生物学とか地質学とかいったものは、全部潰れちまった。なにしろ過去は決して客観的に見られない、ってんだからね。科学的に学問として成り立つわけがない。
　それでも、この時点でまだ何か対策をしてれば、最悪の事態は避けられたかもしれない。だけど、政府は何もしなかった。なにしろ、政治家とか官僚とかいった連中は、過去なんてものにからきし興味を持たない、想像力のない連中ばっかりだったからね。
　ま、そういうわけだから、タイムマシンの利用は、規制されるどころかずっと放置されてきた。それどころか利用者の数はどんどん増えてった。なにしろ、自分の好みの過去に行ける機械だってんだからね、時間旅行したがる者も増えるわけだ。そういうわけで、神が天地創造を行う瞬間を見た奴とか、アトランティス大陸が沈没する姿を撮影した奴とか、空飛ぶ円盤に乗った宇宙人がサルを改造して人類の祖先を生み出す光景を記録した奴だとか、自分の国が全世界を支配してるのを見にいった奴だとか、そういう奴が続出したんだ。
　なにしろ、昔のＳＦみたいに、自分の好みの歴史に変えるためにわざわざ過去をいじりに行く、なんて必要はなかったんだ。タイムマシンで時間旅行するだけで、自分の好きなように歴史を変えることが出来るわけだからね。だけど、過去が自分の好きなようになる、ってことは、その過去から見た未来である現在も、それに従って自分の好きなようになっちまう、ってことだ。もう判ったろ、タイムマシンは結局のところ、現実を自分の好き勝手なものに変えてしまう、魔法の機械だったんだ。もっとも、現実っていっても、その本人にとっての主観的な現実で、周りの人間から見れば、そいつが狂ってるのと何ら変わりがないわけだけどね。
　こういうことが判った時にはもう遅すぎた。その頃にはもう、タイムマシンの利用者は人口の大半を占めてしまっていた。自分の世界に入り込んでしまった人間に、いかなる外部からの規制も及ぶわけがない。だから、もう、国家も法も、いや、いかなる秩序もあったもんじゃない。いや、それどころの問題じゃないんだ。ほとんどの人間が自分の主観の世界に入ってしまったら──客観なんてもの、どこにあるっていうんだい？
　客観的に見れば、世界はもう滅亡しちまってるのかもしれないよ。丸ごと狂っちまったってわけだ。ま、客観なんてものはどこにもなくなっちまったんだから、そんなことは誰にも分かりはしないがね。
　もう、どんなものだって、客観的に存在している証拠なんてないんだ。もちろん、きみだって、それにぼくだって……。

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